何気なく通った道だった。 特に用件があったわけではない。だが、なんとなく足が向いた。 あてもなくただ歩いていると、どこからか、優しい音が聞こえてくる。 風の合間に、途切れ途切れに聞こえてきたそれは、とても優しい旋律だった。 行く手の先に、古い店が現れる。看板には、なになに骨董屋、という文字が、かろうじて見えた。 特に用件があったわけではない。 だが、なんとなく、足が向いた。 店先で、きらりと何かが光をはじく。 骨董屋の主人らしき男性が手に持っていたのは、古い、だが美しい小さな箱だった。 「――綺麗な曲ですね。……オルゴォルですか」 突然の質問に眉を寄せるでもなく、店の主人は笑顔で受け応える。 「えェ、まァ。そこの学生さんからのお預かりものでね。 うっかりして落としてしまったとかで、調子を調べてくれと言われて。 けれどもなんでもなかったので、良かったですよ」 そこ、というのは、自分自身が通う学校である。 なんとなく、因縁めいたものを感じた。 「良い細工ですね。それに、随分と年代物のようだ」 世辞ではなく、素直に思ったことを伝えると、主人は顔をほころばせる。 「ほう……、若いのになかなか目が利くねえ。折角だ、手に取って御覧なさい」 さすがに持ち主に悪いのではと思い、手を伸ばしかねるが、主人は屈託なく、それを自分の手に持たせてくる。 「なに、こういった芸術品は、多くの人の目に触れてこそ、だ。 預けた学生さんも、きっと文句は言うまいよ」 受け取ったそれは、見た目の繊細さよりもずっと重みを感じた。 開けられている蓋を何気なく光にかざしてみると、今まで見えていた絵柄と違う絵柄が現れる。 見事な細工だ。 「……此れは珍しい。光に透かすと天使が現れるのですね」 「え? 本当かい? 気づかなかったよ」 柔和な笑顔の天使と、どこまでも純真な清らかさを持つ天使。 「穏やかで優しく、美しい天使たちだ。何故だか、心がほっとする気がします」 嘘ではない。 ふと、心が洗われた気がした。 二人の天使をじっと見つめ、丁寧な手つきで蓋を閉じる。 「お前さんのような人に見てもらえて、このオルゴォルもきっと満足してますよ」 「多分に良いものを見せていただきました。――では」 その学生が去ったすぐあとで、同じ学生服の男子が駆け込んできた。 こちらは先ほどの学生に比べると、幾分、背が高い。肌も日に焼け、いかにも健康そうだ。 学生帽をかぶった黒い瞳はまっすぐ人を見つめ、そこには溌剌とした光が宿っている。 「こんにちは。先程、オルゴォルの修繕を頼んだ者ですが――」 店の主人がオルゴォルの無事を説明し、学生はホッと胸を撫で下ろした。 ふと、ささやく音がした。 (ふふっ、あの子わらってた) 返す音がある。 (笑っていたね) (いい子だったね) (本当だね) (思ったとおりだったよね) (思い切って声をかければよかったのにねえ) (ほんとほんと。ねえ) くすくすと、木の葉が風にさやぐようなかすかな気配。 (意外と勇気がないんだな) だが、その音は、人には届かない。 「――嗚呼……良かった。壊れていなくて……」 学生帽の青年は、優しく、しっかりとオルゴォルを抱きしめ、心からの吐息をもらした。 (……でも、とっても優しいよ) (嗚呼。そうだね――) それは 美しい小箱が奏でる ぜんまい仕掛けの 『 』 写真:MIZUTAMA copyright(C) Crystal+ ぜんまい仕掛けのノスタルジア all right reserved. |